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東京高等裁判所 平成8年(ネ)2793号 判決 1998年2月18日

控訴人(1事件被告・2事件原告)

関根功一

控訴人(1事件被告)

亡関根功遺言執行者

平野大

右両名訴訟代理人弁護士

平野雅幸

被控訴人(1事件原告・2事件被告)

濱島静江

外五名

右六名訴訟代理人弁護士

福島啓充

河野孝之

大谷美紀子

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

三  被控訴人らは、控訴人関根功一に対し、原判決別紙物件目録記載一ないし三の各土地に係る東京法務局台東出張所平成四年八月二六日受付第一四七五八号(同目録記載二及び三の各土地)及び第一四七五九号(同目録記載一の土地)の各所有権移転登記(共有者・控訴人関根功一及び被控訴人ら持分各七分の一)について、控訴人関根功一の持分を一四分の八、被控訴人らの持分を各一四分の一とする各更正登記手続をせよ。

四  控訴人関根功一のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は、第一、二審を通じこれを五分し、その四を被控訴人らの負担とし、その一を控訴人関根功一の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

3  被控訴人らは、控訴人関根功一に対し、原判決別紙物件目録記載一ないし三の各土地に係る東京法務局台東出張所平成四年八月二六日受付第一四七五八号(同目録記載二及び三の各土地)及び第一四七五九号(同目録記載一の土地)の各所有権移転登記(共有者・控訴人関根功一及び被控訴人ら持分各七分の一)について、平成四年七月六日遺贈を原因とする控訴人関根功一に対する所有権移転登記への各更正登記手続をせよ。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二  事案の概要

本件事案の概要は、次の通り補正するほか、原判決事実及び理由の「第二事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。

原判決五頁八、九行目の「幸子が」の次に「、共謀のうえ、」を、同一〇行目の「窃取し、」の次に「右キャッシュカードを利用して、」を、同一一行目の「原告静江が」の次に「、遺言者が病気になったとき、」を、それぞれ加え、同六頁一二行目の「正常な判断力を欠き」を「、脳梗塞に起因する痴呆症のため、有効に遺言をする意思能力を備えておらず、遺言の趣旨を公証人に口授する能力、さらには」と、同一三行目の「口授」を「、口授等」と、それぞれ訂正する。

第三  争点に対する判断

一  当裁判所は、当審における資料を加えて本件全資料を検討した結果、被控訴人らの遺言無効確認請求はいずれも理由がないから棄却すべきであり、控訴人功一の土地所有権移転登記更正登記請求は、本件土地に係る控訴人功一及び被控訴人らの持分を各七分の一とする前記各所有権移転登記について、控訴人功一の持分を一四分の八、被控訴人らの持分を各一四分の一とする各更正登記手続を求める限度で理由があるから認容すべく、その余は理由がないから棄却すべきものと判断する。その理由は以下のとおりである。

二  関根功の入院中の生活状況、言動、病状等

前記争いのない事実と証拠(括弧内に掲記する。以下同じ)によれば、次の事実を認めることができる。

1  関根功(明治四〇年一月二八日生、平成三年一月七日当時八三歳。以下「功」という。)は、平成三年一月七日、腹壁瘢痕ヘルニア及び腸閉塞のため、医療法人社団哺育会浅草病院(以下「浅草病院」という。)に入院し、同月一一日、その手術を受けた。功は、手術前は、誰が面会に来たかなどが分かる状態であり、また、手術後、経過は良好であった。(甲五から八、乙三八の3、原審証人桜岡たい)

2  ところが、功は、同月一九日夕方から話し方がのろくなり、同月二〇日には、内妻の桜岡たい(以下「桜岡」という。)の顔は分かるが、病室に来た被控訴人將登の顔は分からない状態であった。そして、功は、同日午後二時ころ、意識レベルが低下し、軽度のろれつ障害があり、右片麻痺が出現した。このため、担当医は、功の頭部CT検査を実施し、CT上はっきりした異常所見は認められなかったが、脳梗塞の疑いが強いと診断した。功は、同日午後九時ころには、桜岡の顔も判別できない状態になった。

同月二一日、功に対し、再度、頭部CT検査が実施された結果、功の左前頭部皮質下に小低吸収領域の出現が認められ、功が脳梗塞であることの診断が確定された。同日の回診時に、功は、傾眠状態であったが、簡単な質問には答えていた。

同月二二日の回診時、功は、錯乱状態(見当識状態)であり、担当医に対し、自分の誕生日や住所を誤って返答した。

同月二三日、功は、ろれつ障害はなかったが、見当識障害があり、場所が分からなかった。

同月二四日、功は、日中は傾眠状態であり、回診に来た担当医に対し、眠たいと返答した。

同月二五日、功は、軽度の見当識障害の状態であり、場所は分かった。

同月二六日、功は、失語症も、ろれつ障害もなかった。

同月二九日、功は、回診時、担当医に対し、自分の誕生日は正しく答えたが、住所と日付は回答できなかった。

同月三一日、功は、回診時、担当医に対し、「苦しいところはない」と明確に返答した。

(以上、甲五から七、原審証人桜岡、当審鑑定)

3  浅草病院の功に関する診療録及び看護記録(甲五及び七)中には、同年一月三一日以降、功の意識障害に関する記載はなく、功は、同年二月四日から、脳梗塞による身体機能の脱落症状として発現した右片麻痺のため、同病院においてリハビリテーションを受けるようになった(この時点で、脳梗塞の急性期の症状はほぼ消失したものとみられる)。なお、功は、一九歳のころ、右下腿部を約二分の一切断しており、以来、義足を使用していた。

右診療録によれば、功は、同年二月一二日には、失語症があったが、同月一八日には、ほぼ意識は清明であり、同年三月一一日及び同月一九日には、いずれも意識清明であった。

そして、同年二月二五日には、功に対する脳圧降下剤グリセオールの点滴が中止され、この時点で、功の脳梗塞に伴う脳浮腫は消失し、急性期の治療は終了した。

(以上、甲五、七、乙二五、二六、当審鑑定)

4  ところで、功は、浅草病院入院前、ワールド証券株式会社板橋支店に対し、多数の株券等を保証金代用証券として預託し、株式の信用取引を行っていたが、同年二月初旬から、右入院によって中断していた取引を再開し、右支店の支店長佐藤裕志を三、四回、入院先に呼び出して、信用取引で購入した株式を売却していた。

(乙七、八、三五、原審証人桜岡)

5  浅草病院の付添婦をしていた多田正子(以下「多田」という。)は、同年三月初旬から同年五月二一日までの間、功が入院していた大部屋に、二四時間勤務で他の患者の付添いをしていたところ、同室の患者で話をするのは功以外にほとんどなく、功とはよく会話をする間柄であった。

この間、功は、多田に対し、消灯後に、人が出入りする影を見て、「泥棒じゃないか」と言ったことがあったが、多田が「人が出入りしているだけだ」と説明すると、すぐに了解した。また、功は、夜、寝ているところを起こされた際に、「おはよう」と言ったことが一、二回あったが、このほかには、意味不明の会話をするということはなかった。さらに、功は、面会に来た人の顔が分からなかったということは一度もなく、被控訴人將登が面会に来た際には、その退室後に、多田に対し、「うちの息子来たんだよ」と話し掛けた(ちなみに、右付添期間中、多田は、この一回以外には、被控訴人らが功の面会に来たのを見たことはない。)。

功は、この間、多田に対し、「自分はベルトコンベアで足を取られた」とか、「旅行に出掛けた後に、前妻にお金をみんな持って行かれた」とか、「子供らが、誰もいない自分の家から千二、三百万円持って行った」などと、いろいろな身の上話をした。

また、功は、この間、毎日のように、新聞の株式欄等を読み、テレビでも株の番組を見るなど、株取引に深い関心を持っていた。

(以上、乙四二、当審証人多田、原審証人桜岡)

6  功は、同年三月中旬ころから、車椅子で外出できるようになり、その後、かなり頻繁に外出している。功は、外出の際、桜岡に対し、「今度こういう立体駐車場をうちも造ろうか」などと話したこともあった。

同月二二日、功を回診した脳外科医は、家族の受入れが良ければ退院も可能であると診断した。

なお、功は、この前後に、看護婦に対し、「昨夜、お金もうけのことを気にして眠れなかった」(同月一七日)とか、「銭全部なくなっちゃった」(同月二五日)などと、話している。

(以上、甲七、原審証人桜岡、当審鑑定)

7  もっとも、浅草病院入院中の功の言動については、日中は異常な言動がないのに対し、夜間・早朝に限って、次のような異常な言動があった。

同年二月二〇日午前一時、功は、巡視に来た看護婦に対し、「熱三〇〇度あるよ」と言った。

同月二二日午前六時、功は、検温に来た看護婦に対し、「夕べ泥棒が来た」と話した。

同月二三日午後一一時、功は、巡視に来た看護婦に対し、「手袋切るから刃物をください」と言った。

同年三月八日午前六時、功の検温に来た看護婦に対する会話は意味不明であった。

同年四月一三日午前六時、功は、検温に来た看護婦に対し、「ここは前は関根って家だったでしょ」と言った。

同年五月九日午後九時、功は、消灯に来た看護婦に対し、「区役所へ行こう」と言った。

同月一五日午前〇時、功は、巡視に来た看護婦に対し、「おはよう」と言った。

(以上、甲七、当審鑑定)

8  また、脳外科の杉村医師は、同年五月一六日、面談を希望した被控訴人勝昭、同敏男、同將登らに対し、「年齢的な脳の萎縮もあり、痴ほうも仕方ないでしょう。リハビリの効果については多くは期待できず、現状維持が精一杯ではないか。」との趣旨の説明をした。(甲五、七、一一、原審における被控訴人將登)

9  ところで、功は、同年五月二一日、浅草病院を退院し、主に筋力増強を目的として、医療法人財団加納岩病院附属山梨温泉病院(以下「山梨温泉病院」という。)に入院した。

右退院に際して、浅草病院の外科医菊嶋慶昭及び船曳均は、山梨温泉病院の担当医に対し、功の病状について、功は、現在リハビリ中であるが、脳神経症状はほとんど認められない旨、紹介している。

また、右退院に際しての浅草病院の看護サマリーにおいては、功の症状や日常生活について、「右下肢に高度の麻痺がある(もっとも、右下腿の約二分の一は義足を使用している)。意識レベルは三・三・九度方式でクリアである。尿便の失禁はないが、便器を使用することができず、時折失敗する。コミュニケーションについては、人の話が理解でき、ナースコールが押せ、言葉が話せる。」とされている。

(以上、甲八、乙二二、二四、二六、三〇)

10  山梨温泉病院の言語療法士は、同年六月二四日、功に対する初回評価を行い、主治医あてに、次のような報告をしている。

「発話は明瞭であり、構音障害的な面は認められない。知的機能面で、記憶力、記銘力の低下が認められる。喚語に時間がかかったり、数詞に語性錯誤が出現したりすることがある。しかし、日常のコミュニケーションに支障があるほどはなく、年齢的なものも考慮すると、言語療法の対象ではないと思われる。」

(以上、乙二〇)

三  本件遺言書作成の契機となった事情

1  証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 被控訴人將登は、平成三年一月一〇日、功の病室を訪れ、桜岡に対し、「下に兄貴(被控訴人勝昭)と姉(被控訴人幸子)が来ている。お父さん(功)の今後のことで話があるからちょっとうちまで来てくれ」と言って、桜岡を連れだし、自動車で待っていた被控訴人勝昭及び同幸子と合流し、浅草病院から徒歩五、六分の功の自宅に赴いた。

功宅において、被控訴人將登は、桜岡に対し、「うちの権利証はどこにあるんだ」と尋ね、桜岡が「知らない」と返事をすると、被控訴人將登ら三名は、いろいろな引き出しを引っ張りだし、桜岡の制止を無視して、功の印鑑登録カード、実印、株券の預り証、キャッシュカードを勝手に持ち去った。その際、桜岡が被控訴人將登ら三名に対し、「あんたたち、うちへ来て家捜しするならお父さんに温かい言葉の一つもかけてやれば」と言うと、被控訴人幸子は、「あんな年寄り捨てちまえばいいんだ」と述べた。

(以上、原審証人桜岡)

(二) 被控訴人勝昭らは、同月二一日、右キャッシュカードを使用して、功名義の富士銀行の総合口座から、一四回にわたり、一〇〇万円から約四九万円までに小分けして、合計約一二一一万円を引き出した。

桜岡は、同年三月五日、富士銀行に赴き、功の右口座から家政婦に支払う三〇万円を下ろした時に、初めて右払戻しの事実を知り、被控訴人勝昭に電話で返還を要求したところ、被控訴人勝昭は、「俺は泥棒したんじゃない、葬式代として預かっている」と述べた。

(以上、乙一の4から6、原審証人桜岡、弁論の全趣旨)

(三) 桜岡は、功の容態が悪化するのを案じて、功に対し、被控訴人將登らが前記キャッシュカード等を持ち去ったことを伏せていたが、同月二四日ころ、功に前記持ち去りの事実を打ち明けた。

これを聞いた功は、激怒し、被控訴人將登らを告訴しようとして、同年四月初旬ころ、控訴人功一を通じて、昭和五九年四月ころアパートの立退事件を依頼したことで知り合った控訴人平野大弁護士(以下「控訴人平野」という。)に連絡をしたところ、控訴人平野は、同月一一日、功の病室に訪れた。

病室(大部屋)において、功は、控訴人平野に対し、「銭みんな取られちゃった」とか、「取ったのは子供たちだ」「返せと言っても返さない」などと話したので、平野弁護士は、他の患者等の手前、具合が悪いと判断し、功の自宅に移動して話の続きを聴くことにし、功、桜岡及び控訴人功一とともに、功宅に赴いた。

功宅において、功は、控訴人平野に対し、「子供たちに実印、キャッシュカード、株券の預り証などを取られた、預金は無断で下ろされた、許せないので窃盗で告訴してほしい、遺言書を作って一切相続させないようにしたい」との趣旨のことを述べた。控訴人平野は、桜岡から事情を確認したところ、桜岡も同旨のことを述べ、併せて、前記持ち去りに際し、被控訴人幸子が「功は捨ててしまえ」との発言をしたことを説明した。

そこで、控訴人平野は、功に対し、告訴は親子間のことだから駄目であると明言して断念させ、遺言書の作成のみを引き受けることとし、被控訴人將登らに相続させない方法として、遺言書にその旨記載すること、この場合は遺留分が残ること、推定相続人廃除といって相続権を法律上奪うこと、この場合は遺留分もなくなること、の二通りがあるが、どちらにしたいかを質問したところ、功が、被控訴人將登らには遺産が絶対いかないようにしてほしいと述べたため、ここに、被控訴人將登らを廃除する旨の遺言書を作成することが決定された。

(以上、甲七、乙三七、丙一、原審証人桜岡、原審における控訴人平野、控訴人功一)

2  右1(一)の事実に関し、被控訴人らは、「被控訴人將登は、平成三年一月一八日、功の見舞いに訪れた際、功と同居し、将来を危惧した桜岡から、同月二〇日功宅への来訪を求められた。桜岡は、同月二〇日、被控訴人勝昭、同將登及び同幸子に対し、功が桜岡を識別できないなど、二、三日前から様子がおかしく、もしもの事があった場合、先のことが心配であると話し、被控訴人勝昭に対し、功のキャッシュカードを交付し、暗証番号を教え、預金中約三〇〇万円を残して引き出すよう依頼し、また、功の実印、印鑑登録カード、有価証券の預り証をも交付した。被控訴人勝昭ら三名は、右キャッシュカードの暗証番号は、桜岡から聞かなければ絶対に分からない。桜岡は、後日、功の預金口座から、家政婦に支払うため三〇万円を引き出しており、少なくとも功が浅草病院に入院した後、右預金口座を桜岡が管理していたことは明らかである。」旨主張し、甲一一、一五、二七、原審における被控訴人將登及び同幸子の各供述中にはこれに沿う記載部分、供述部分が存在する。

しかし、前記二の1、2に認定したとおり、功に脳梗塞の症状が出始めたのは、同月一九日夕方からであり(話し方がのろくなった)、同月二〇日に、功は、桜岡の顔は分かるが、被控訴人將登の顔は分からない状態に至ったものであって、同月一八日の時点で、桜岡が将来を危惧するほど功の様子が変であった事実は認めることができない。

また、前記三の1(二)のとおり、桜岡は、同年三月五日、富士銀行に赴き、功の総合口座から家政婦に支払う三〇万円を引き出しているが、これは、功のキャッシュカードを使用して払戻しを受けたものではない(乙一の6。該当欄に「カード」の記載はない)。

この事実と、功が金銭に非常に厳しく、お金は自分で管理し、身内にも気を許さなかったこと(関係者が一致して供述するところである。原審証人桜岡、同平野、同北口健)を併せ考慮すると、むしろ桜岡が証言するように、桜岡は、功から、右キャッシュカードの暗証番号を知らされていなかったものと認めるのが相当である。

したがって、これら諸般の事情にかんがみ、甲一一、一五、二七中の前記記載部分、被控訴人將登、同幸子の前記供述部分は到底信用することはできず、他に被控訴人らの前記主張事実を認めるに足りる証拠はない。

四  本件遺言書作成時の状況と遺言の方式等

1  浅草病院の診療録及び看護記録によれば、功の平成三年五月九日の状態は次のとおりである。

同日午前、功は、回診に来た杉村医師に対し、「苦しいところはないです」「めまいがすると、胸がむかむかする」と述べている(診療録には、このほかには病状に関して特別な記載はない)。

同日午後二時、功は外出中であったが、午後六時には病室に戻っており、内服薬の服用に来た看護婦に対し、「めまいも、気分不快も、疲労感もない」と返答している。

同日午後九時、功は、消灯に来た看護婦に対し、「区役所へ行こう」と言った(看護記録中には、「『区役所へ行こう!』とボケ症状あり」と記載されている)。

翌一〇日午前〇時、看護婦が巡視に来た際、功は開眼中であり、独語があった。

(以上、甲五、七、当審鑑定)

2  控訴人平野は、前記のように、功から、推定相続人廃除等を内容とする遺言書の作成を依頼されたので、功とは旧知の間柄で功の駐車場等の管理を行っていた不動産業者の北口健(以下「北口」という。)に対し、公正証書遺言の証人となることを依頼してその承諾を得、また、同年四月一八日、遺言書の原稿を控訴人功一に手渡して功に届けさせた。

同年五月九日、控訴人平野は、浅草公証役場で、功、桜岡、控訴人功一及び北口と待ち合わせ、功及び北口とともに同公証役場に入室した(桜岡と控訴人功一は入室を許されなかった)。

同公証役場において、古川純一公証人(以下「古川公証人」という。)は、功に対し、「平野先生から遺言書の原稿を預っておりますが、公正証書遺言の場合は、遺言者に遺言の内容を直接言ってもらうことになっているので、おっしゃってください」と話し、功は、「財産は全部長男の功一にやる」との趣旨のことを述べた。古川公証人は、功に「財産はどんな物ですか」と質問し、功は、「自宅」とか、「今戸の土地」などと返答した。

そして、功は、「桜岡については功一に一生面倒を見てもらいたい」旨を述べ、また、古川公証人から一つ一つ確認されたのに対し、「勝昭、將登、幸子は、判やキャッシュカード、印鑑証明書用カード、株券預り証を取った、約一二〇〇万円取られた、弘も相談の上でやったことだ、返せと言っても返さない」「静江は、自分が病気の時に、施設に入れればよい、捨ててしまえと言ったので許せない」との趣旨のことを説明し、右被控訴人ら五名を廃除する旨を述べた。さらに、功は、遺言執行者については、控訴人平野を指差し、「平野先生にお願いします」と述べた。

最後に、古川公証人は、遺言書全文を読み上げ、内容が正確であることを功、控訴人平野及び北口に確認した上、功は高齢かつ病気で署名捺印することができないため、同公証人が功に代わって代署・捺印し、末尾に自ら署名捺印して、本件遺言公正証書を作成した。

当日、古川公証人から控訴人平野に対し、功の精神状態が多少おかしいのではないかといった話しは全く出ておらず、証人として立ち会った控訴人平野も、北口も、功の言動や様子がおかしいとは感じなかった。

(以上、甲一、乙三六の1、丙一、原審証人北口、原審における控訴人平野)

3  右認定の事実によれば、本件遺言公正証書は、民法九六九条二号所定の要件を具備するものと認めるのが相当である。

五  功の遺言に関する意思能力

1 そこで、以上において詳細に認定説示した、功の入院中の生活状況、言動、病状等、本件遺言書作成の契機となった事情、本件遺言書作成時の状況等に、当審における鑑定人高橋啓の鑑定結果(「功は、平成三年一月二〇日に軽度の脳梗塞を発症したものの順調な回復経過をとり、平成三年五月九日当時には後遺症として右手足の麻痺を残すのみで、急性期は既に過ぎていた。当日の日中、特別な精神状態にあったとする根拠は全く得られない。八四歳老人の標準的精神能力を有していたところから、遺言に関する意思能力も有していたものと考えられる。」)を併せ考慮すれば、功は、本件遺言書作成当時、遺言に関する意思能力を有していたものと認めるのが相当である。

2 この点に関し、医師齋藤昌治は、甲三二(関根功の精神状態に関する高橋鑑定書に対する意見書。以下「齋藤意見」という。)において、要旨、次のように意見を述べており、被控訴人らはこれを援用している。

「平成三年五月九日当時功には知的機能の明らかな低下と日常生活動作の低下を認められているところから、痴呆状態にあったものと判断する。そして、頭部CT検査所見(脳萎縮、脳室拡大、多発性梗塞)、右片麻痺の存在、そして着衣失効と相貌失認(人物に対する見当識障害)等の認知障害が認められることから、痴呆の種類は脳血管性痴呆であり、その痴呆の程度は中等度と考える。時間が経過した中等度の痴呆においては当然、理解力・判断力も低下している。従って平成三年五月九日当時功は己の財産の相続について正しい判断ができる状態にあったとは到底考えられず、当時功の意思能力は無かったものと判断する。」

しかし、齋藤意見を採用することはできない。その理由の要旨は次のとおりである。

(一)  前記認定説示の功の臨床経過・症状からすれば、功の見当識障害は、当審における鑑定人高橋啓の鑑定結果(以下「高橋鑑定」という。)にあるように、脳梗塞急性期と夜間譫妄の二つの異なる病態を基にして出現していると認められる。

すなわち平成三年一月二〇日に出現した功の見当識障害(桜岡の顔は分かるが、被控訴人將登の顔は分からないなどの状態)は、同月中には消失しており、同年二月四日にはリハビリが開始されていることから、この見当識障害は、脳梗塞の発症に伴う脳浮腫に対応するものと考えられる。

これに対して、同年二月二〇日に始まった功の異常な言動(前記二の7のとおり)は、いずれも夜間又は早朝に限って出現している。譫妄は、七〇歳以上の高齢者に起こりやすく、睡眠覚醒リズムの乱れと関係があり、夜間就眠前や明け方に出現しやすい。夜間に多い理由として、夜間は見当識を得るための手掛かりが乏しく、また脳の代謝も低い水準にあるためと考えられている。功は、当時八四歳であり、睡眠のリズムはかなり乱れており、妄想を起こす素地を有していた。(甲七、高橋鑑定)

功の見当識障害の原因が脳血管性痴呆にあるとすると、この二つの異なる病態及び同年二月二〇日以降の異常な言動が夜間又は早朝に限って出現していることを合理的に説明することは困難であると考えられる。

(二)  浅草病院入院中に功に対して行われた六回の頭部CT検査の結果は、次のとおりである。

(1)  平成三年一月二〇日 左頭頂葉に小低吸収領域、右被殻に小低吸収領域、脳萎縮、多発性脳梗塞

(2)  同二一日 著明な脳萎縮、右尾状核頭部及び左頭頂葉に小低吸収領域―梗塞か?

(3)  同年二月七日 両側前頭葉皮質萎縮(++)、両側小脳萎縮、左前頭葉白質に小低吸収領域―陳旧性脳梗塞

(4)  同年三月一二日 顕著な脳萎縮、脳室拡大

(5)  同年四月一九日 両側前頭領域の硬膜下水腫、低吸収領域が左前頭葉皮質下、右基低核等に見られる、多発性脳梗塞

(6)  同年五月一七日 両側前頭領域の硬膜下水腫、皮質髄質の萎縮

(以上、甲六、一六の1から6、三二)

以上の検査結果によれば、功の脳梗塞は多発性のものであるが、脳圧降下剤の使用状況からみて発症は一回だけであって、病巣は小さく、軽度のものということができ(高橋鑑定)、また、繰り返し述べるとおり、功の見当識障害は、二つの異なる病態を基に出現しており、同年二月以降の功の異常な言動は、夜間又は早朝に限られ、日中は生じていないのであるから、これらの検査結果をもって、功を脳血管性痴呆と診断することはできないというべきである。

(三)  齋藤意見は、功の知的機能の明らかな低下として、功は、平成三年一月一一日、ヘルニアの手術に立ち会うために浅草病院に来た息子の被控訴人將登を識別することができず、同月一四日ころ及び同月一八日に被控訴人將登が見舞ったときも同様の状態であり、功は既に同月二〇日以前の段階で人物に対する見当識障害が存在していたとするが、先に認定したとおり、功の見当識障害が初めて出現したのは同月二〇日であり、それ以前には、功に見当識障害は見られない。

また、齋藤意見は、同年五月末か六月ころ、被控訴人静江、同勝昭、同敏男及び同幸子が山梨温泉病院に功を見舞った際も、功の人物に対する見当識障害は持続していて、功は見舞人を識別できなかったとするが、山梨温泉病院の看護日誌によれば、功は、同年五月二九日、入浴予定であったが、家族の面会があり、随分興奮した様子で、血圧が上昇し、入浴を中止して安静を指導されているのであり(乙三二の3)、見舞人が誰か分からない状態であったとは、到底考えられない。

(四)  さらに、齋藤意見は、功の日常生活動作の低下を指摘するが、功は、八四歳の高齢で、右下腿が欠損し、右片麻痺があったのであるから、その日常生活上の動作に、ある程度低下が見られるのはむしろ当然であると考えられる。

3 本件全資料を詳細に検討しても、以上の認定判断を覆すに足りる証拠はない。

また、以上認定説示したところによれば、功には、本件遺言書作成当時、遺言の趣旨を公証人に口授する能力、公証人の筆記の正確なことを承認する能力があったものと認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

六  功の錯誤

1  本件遺言書の第二条に、「遺言者の二男・被控訴人弘、同三男・被控訴人勝昭、同五男・被控訴人將登及び同三女・被控訴人幸子は、共謀の上、平成三年一月二〇日頃東京都台東区浅草五丁目六八番一一号の遺言者方に侵入して遺言者所有にかかる遺言者の実印、印鑑証明書用カード、キャッシュカード及び株券の預り証を窃取し、右キャッシュカードを利用して、遺言者名義の預金口座から約一二〇〇万円の金員の払戻しを受け、不法にこれを領得し、遺言者の再三にわたる返還要求に対しても、これに応じない。

また、遺言者の長女・被控訴人静江は、遺言者が病気になったとき、前記遺言者の子四名と共に『遺言者は施設にでも入れればよい』と言ったにとどまらず『遺言者は捨ててしまえ』とまで暴言を吐いた。

遺言者は、右遺言者の子五名の非行を到底許すことができない。

よって、遺言者は、右五名を、その推定相続人から廃除する意思を表示する。」旨の記載があることは、引用原判決の摘示するとおりである。

2  本件遺言書作成の契機となった事情は、前記三に認定したとおりであり、被控訴人勝昭、同將登及び同幸子には右1記載の非行があったのであるから、右被控訴人ら三名の非行に関し、功に錯誤は存しない。

次に、被控訴人弘が、真実、被控訴人勝昭、同將登及び同幸子と右非行を共謀したものか、被控訴人静江が真実、右暴言を吐いたのかは必ずしも明らかではないが、仮に被控訴人弘及び同静江の右共謀及び暴言の事実がないのに、功がこれあるものと誤信したとしても、功が控訴人功一のみに一切の財産を相続させたいとの意思を有していたことは明らかであり(原審証人桜岡、同平野、同北口)、その意思は被控訴人弘及び同静江の右共謀及び暴言の事実の有無とはかかわりがないというべきであるから、功が右の点に錯誤があったとしても、それは、功が本件公正証書遺言をするについて、要素の錯誤となり得ないものといわなければならない。

したがって、被控訴人らの錯誤の主張は理由がない。

七  被控訴人らの遺留分減殺請求

功の子が被控訴人ら及び控訴人功一の七名であり、他に相続人はいないこと及び功が平成四年七月六日死亡したことは、引用原判決の摘示するとおりであり、甲三一の1、2、弁論の全趣旨によれば、被控訴人らは、控訴人功一に対し、同年一二月一六日送達の内容証明郵便により、本件遺贈につき遺留分減殺の意思表示をしたこと、功には相続債務は存在しなかったことが認められるから、被控訴人らは、本件遺贈に係る本件一ないし三の土地について、それぞれ一四分の一の遺留分を有することになる。

被控訴人功一は、被控訴人らの右遺留分減殺請求は権利の濫用に当たる旨を主張するが、以上認定説示の事実関係の下においては、被控訴人らの右遺留分減殺請求をもって、権利の濫用に当たるとまでいうことはできない。

八  結論

以上の次第で、被控訴人らの遺言無効確認請求はいずれも理由がないから棄却すべきであり、また、控訴人功一の土地所有権移転登記更正登記請求は、本件土地に係る控訴人功一及び被控訴人らの持分を各七分の一とする前記各所有権移転登記について、控訴人功一の持分を一四分の八、被控訴人らの持分を各一四分の一とする各更正登記手続を求める限度で理由があるから認容すべく、その余は理由がないから棄却すべきところ、これと異なる原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条二項、六一条、六五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官塩崎勤 裁判官橋本和夫 裁判官川勝隆之)

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